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    夏蚕なつごで下葉からもぎとられて行つた桑は、今頭の方だけに汚ならしい葉をのこして、全体に透きながら間の抜けた形で風にゆらいでいた。その間を房一の乗つた真新しい自転車のハンドルがきらきら日に光つた。

    済んでもまだ、彼の顔は何かしら当惑した、おつかなびつくりといつた表情を浮かべていた。それは何だか、嫌な仕事をさせられた子供のよくやるやうな表情だつた。突然、盛子は了解した。そして、笑ひ出した。――このいかつい、頑丈な、むくむくした房一の中には、こんなに気の弱い、やさしい、何だか可愛げなものがあるのだつた。それは全く、彼には不似合なものだつた。それだけに、可笑をかしみのある、又親しい――。

    すると、徳次はびつくりしたやうな眼で房一を見やつた。

    「さあ、知らん」

    「さうだ」

    と、いきなり云つた。

    「やあ、しばらくで」

    房一には連れが二人あつた。

    しかしこんな田園詩イデイイルのなかにも生活の鉄則は横たわっている。彼らはなにも「白い手」の嘆賞のためにかくも見事に鎌を使っているのではない。「食えない!」それで村の二男や三男達はどこかよそへ出て行かなければならないのだ。ある者は半島の他の温泉場で板場になっている。ある者はトラックの運転手をしている。都会へ出て大工や指物師になっている者もある。杉や欅の出る土地柄だからだ。しかしこの百姓家の二男は東京へ出て新聞配達になった。真面目な青年だったそうだ。苦学というからには募集広告の講談社的な偽瞞にひっかかったのにちがいない。それにしても死ぬまで東京にいるとは!おそらく死に際の幻覚には目にたてて見る塵もない自分の家の前庭や、したたり集って来る苔の水が水晶のように美しい筧かけひの水溜りが彼を悲しませたであろう。

    「いや、私はすぐこの近くで医者をしとる、高間といふ者ですが」

    その直造の耳には、次のやうな言葉が響いて来た。

    盛子は時々半ば無意識に呟いた。

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