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    「やあ。――こちらへ」

    間もなく神原直造は一種段取りのついた慇懃いんぎんな荘重さともいふべき様子でゆつくりと来客の居並んだ前へ進み出て挨拶した。彼には紋付の羽織に袴といふ形がいかにもよく似合つていた。その稍角張つた肩のあたりにも、それから、一体に老いて強さはなくなつているが、まつ直ぐな鼻筋だの、その上にかつきり線を引いたやうな白毛まじりの太い眉だのの上には、ちやうど彼の身につけた袴の襞ひだと同じやうに、一種云ふべからざる古雅な端正さがあり、それは同時に低い枯れた声音こわねの中にも響いた。

    「もう遅いんですよ、おぢいさん。泊つてつたらどうです」

    「なあに、後から来るのんはほんの擦かすり傷みたいなもんやから、大事ありません。――時にせんせい、何んぼ差上げたらえゝでせう?」

    房一は話を変へた。

    それは何かしら長い退屈な時間だつた。香煙はまつすぐに立ちのぼり、二尺ばかりの高さでゆらゆらし、蝋燭の灯はそれに答へるやうにまたゝいた。さつきまで思ひ思ひの世間話に身を入れていた連中は一瞬厳粛になり、それから放心し、今一律に無表情のまゝぢつとしていた。その中で、大石練吉は今も頭をまつすぐに持ち上げて仏壇の方を眺めていたが、間もなく千光寺の住職の剃り上げた後頭部に人並外れて骨が突出し、その下にぺこんとした凹みのできているのを発見し、しきりとそれを見つめていた。

    と、房一は小谷に向つて訊いた。

    小谷が対岸から流れを指しながら叫んでいた。房一の竿の前を渡渉とせふするので承諾を求めたのだ。

    「永いこつてすよ」――そのきつぱりとし、そのためにかへつて本当の永さを、あのつきることのない、何かしらにみちた前方の日々を現しているその云ひ方が、ひどく房一の頭に残つていた。

    彼は先だつて房一から全快祝ひに贈られたセルの上下を、仕立下したばかりのものを着こんでいた。夏からふた月あまり寝こんだとは云へ、日焼けの浸みこんだ黒い皮膚の色は容易にとれないと見えて、今もそれが真新しいセルの、明い地色と際立つた対照をなしていた。

    「をかしな男だな」

    「いや、どうぞ構はんで下さい」

    黒光りのする戸棚の蔭からびつくりしたやうな義母の円つこい眼がのぞくと、

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