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と云つたまゝ、盛子は房一の顔を見てくすりとした。そして、ばさばさ音をたてて大きくひろげてみせた。それは神官の着るやうな袍はうだの指貫さしぬきに模したものだつた。おまけに、ボール紙で造つた黒い冠、笏しやくの形をした板切れ、同じく木製の珍妙な沓くつだのいふ品々が揃つていた。
「もう、だいぶようなつたですわ」
一わたり済むと、練吉は最後にもう一度注意深く病人の顔をぢつと眺め、
だが、道楽息子にはちがひなかつたが、それだけでは済まないものがあつた。正文はそのはつきりと理解できないこみ入つた或る物が、単にあらゆるものを切りすててもなほ残る、あの単純な愛情だといふことには気がつかなかつたが、漠然とそれに惹かれた。
――房一がさういふことを耳にしたのはごく最近である。しかし、いづれにしても房一には直接関係のないことだつた。
練吉は今更のやうに、あらためて房一の様子を、その新調の自転車や医者らしい鞄などに目をやつた。すると、それらは今新しく練吉の前に彼の持物と同じものを感じさせ、更に、今まで耳にしていたものの、つひぞ気にもとめずにいた医師高間房一といふ人物がそこに忽然と姿を現しているのをいやでも見なければならぬと感じさせた。それは何故かどこかで練吉の自負心を傷つけ気を苛立たせるものだつた。
「いや、あの晩の、ほんの三二日前です」
ふいに、徳次はしたゝかに横頬を殴られるのを感じた。容赦のない力が彼の首すぢをつかまへ、又やられた、一つ、二つ。それは、突然うしろからやつて来た。何だか判らなかつた。そして、抵抗するはずみを失ひ、きよとんとして見上げた。
「おつ!こりあいかん」
相沢は満足さうに馬の首を叩きつゞけていた。房一は思はず微笑した。彼にはこの時の相沢がひどく愛嬌あるものとも見えたからである。けれども、房一自身の顔にさつきから現れているものも、ちやうど子供が好きな物を前にしたときに見せるあの熱心さと同じ表情だつた。
黒い影はぴよこりとお辞儀をした。それから台所から射す光りの中に全身を現すと、それを眩しがつているとも照れたとも見える表情を浮べながら近づいた。
張りのある、いくらか甘えやかな、跳ね上るやうな盛子の声を、その男はいかにも耳珍しげに一つ一つとつくりと聴いているやうな様子でいたが、そして台所からさす電燈の明みの中に立つた盛子をまじまじと眺めながら、その遠慮深い調子の中に急に溢れるやうな親しみを浮べた。それは何だかこの男が幼い時分の盛子をよく世話してくれて、何十年かたち、今ふたゝび盛子を前にして昔を思ひ出した、とでも云つた様子だつた。
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